大東市の專應寺(せんのうじ)に行ってきた。東高野街道沿い、生駒の山の麓にある寺や。
立派なイチョウの木があって、井戸水を汲み上げる手押しポンプまで残ってた。
そして説明板を読んで驚いた。この寺、大坂城とつながってた。
黒い山門と本堂

石段を上がると黒い木造の山門。江戸時代中期の建築様式やそうな。


境内には本堂・太子堂・鐘楼・山門・庫裏が揃ってる。浄土真宗本願寺派で、本尊は阿弥陀如来。
創建は鎌倉時代後期、親鸞の直弟子「二十四輩」の一人・唯信とされてるらしい。
大坂城の石は、ここから運ばれた

説明板のタイトルが「專應寺と大坂城」。何の関係が、と思って読んだらこういう話やった。
今から約400年前の元和年間、徳川が諸藩に命じて大坂城を築いた天下普請のとき。
京極丹後守高知(1572〜1622)がこの寺に陣屋を構えて、石垣用の石を切り出していた。
切り出された石は「野崎の浜」から船に積まれ、旧大和川(深野池・寝屋川)を下って大坂城まで運ばれた。
滞在の礼として、丹後守は寺の石垣と階段を積み、手水鉢を寄進したそうや。
そして説明板によると、今も石垣に「丹」の刻印と矢穴の跡が残っていて、手水鉢には「寄附 京極丹後守」の銘が刻まれてる。
初回は完全に見落としてた。2026年9月23日に探しに行ったら、両方ともちゃんと残ってた。
【追記】石垣の「丹」の刻印と、京極丹後守の手水鉢
まず石垣。太子堂の回りの石垣に、「丹」の刻印がはっきり残ってた。

丹後守の「丹」や。どの藩が切り出した石か分かるように刻んだ印やな。400年前の仕事の跡が、こんな普通に残ってる。
手水鉢は本堂の前にあった。石をくり抜いた、どっしりしたやつや。


横に由来を書いた板が立ってた。初回に読んだ「專應寺と大坂城」の説明板とは別のもんや。

書いてあったのはこういう話。
元和年間(今から約400年前)の大坂城の築城で、京極丹後守高知が野崎の山麓の石を切り出す命を受けた。その大名普請にあたって、この寺に陣屋を設けた。
切り出した石は野崎の浜(外環状線のあたり)から舟に乗せ、深野池を使って大坂城まで運んだと言われている。
数年の滞在の礼として、宮津藩主の丹後守が太子堂回りの石垣と階段を積んだ。逗留の感謝の印として寄進されたのが、この手水鉢や。板は平成18年3月、專應寺二十五世の記。
※板には「生水なので絶対に飲まないで下さい」とも書いてあった。
山の麓やのに「浜」がつく理由
この話で、ずっと気になってたことが繋がった。
近所に中垣内浜公園という公園がある。山の麓やのに「浜」がつくのが不思議やった。
答えは説明板の中にあった。昔このあたりは深野池の岸辺で、船が着く「野崎の浜」やったからや。
今は住宅と田んぼが広がってるけど、400年前は水辺やった。地名だけがその記憶を残してる。
野崎まいりは、まずここに詣でてから
説明板にはもうひとつ、はっとする一文があった。
この寺の太子像は聖徳太子の自作と伝わる孝養像で、父・用明天皇の病気平癒を祈願する16歳の姿やという。
毎年春秋の彼岸に公開されて、多くの参拝者を集めてたらしい。
そして、野崎まいりもこの太子堂に詣でてから、北の野崎観音(慈眼寺)へ向かうのが一般的な道筋やった。
野崎観音には先に行ってたけど、本来はこっちが先やったわけや。順番を間違えてた。

立派なイチョウは市の保護樹木

境内でいちばん目を引くのが、この大きなイチョウや。見上げるとかなりの高さがある。

根元に標識があって、大東市の保護樹木・指定番号 第4号・昭和59(1984)年3月30日指定と書いてあった。


幹の太さと枝の広がりを見ると、指定されて当然やなと思う。秋の黄葉の時期はさぞきれいやろう。



井戸水を汲み上げる装置

境内の隅に、井戸水を汲み上げる手押しポンプが残ってた。コンクリの井戸蓋と石の水受け付き。
こういうのを見ると、ここが暮らしの場でもあったことがよく分かる。
東高野街道を歩いて帰る

この寺の前を通ってるのが東高野街道。京都から高野山へ向かう古い道や。
道端に木の標柱が立ってるので、歩いてるとすぐ分かる。


街道沿いには土塀や瓦屋根の家が残ってて、歩いてるだけで雰囲気がある。


このあたりに歴史的な建物が多いのは、街道が通ってるからやったんやなと納得した。
野崎観音も寶塔神社も、みんなこの街道沿いにある。
基本情報
| 寺名 | 專應寺(せんのうじ) |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 鎌倉時代後期/開基は親鸞の直弟子・二十四輩の一人 唯信と伝わる |
| 所在地 | 大阪府大東市 |
| 拝観料 | なし |
| 見どころ | 大イチョウ(大東市保護樹木 第4号)/石垣の「丹」の刻印と矢穴跡/手水鉢の「寄附 京極丹後守」銘 |
| アクセス | JR学研都市線「野崎駅」から東高野街道沿いに徒歩 |
※由緒などは境内の説明板(平成26年・大東市教育委員会)によります。
まとめ
大坂城の石を切り出した寺が、住宅街のすぐそばに普通に建ってる。それがこの土地の面白さやと思う。
宿題やった石垣の刻印と手水鉢は、2回目にちゃんと見てきた。400年前の石の切り出しの跡が、今も境内に残ってる。
野崎観音、寶塔神社、そしてこの專應寺。全部が東高野街道でつながってる。
この日は寺のあと、堂山古墳群にも登った。住宅街からすぐの丘の上に、大阪平野を見渡す古墳がある。


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